回復ストーリー:本田親子
- kaemued
- 2024年4月7日
- 読了時間: 8分
更新日:2024年7月30日
性別:女性
年齢:11歳の時に発症
回復期間:1年
体験談お読みいただきありがとうございます。ご病気の方が少しでも早く回復されることを祈っております。
小学校6年生の夏休みに入ってすぐ、私は突然、拒食症ではないかと診断されました。六年生の1学期は、私の通っていた女子校の小学校でグループ内の友達のいじめに巻き込まれたり、共に楽しい日々を送っていた友達にいじめの主犯ではと疑われたりと、それまで楽しく通っていた学校へ行くことが心身ともに疲れ始めてきた時期でした。周りから変な目で見られるのが嫌で、もっと好かれないと、と自分を追い込んでいました。
そんな中、クラスでダイエットが流行しました。給食では多くの生徒が「少なめで!もっと少なく!」と言い、ごはんを10粒しか食べない子もいました。多くの生徒が食べないので、私たちの学年の残飯が非常に多く、無駄を減らすために配膳の量から減らされたほどです。給食を食べている間も「これはカロリー高いんだよ、うわーあの子食べ過ぎ〜」などといった会話が飛び交っていました。昔からよく周りの目を気にし、完璧主義気味で粘り強い私は、そんな風潮につられて、給食でも、家での食事でも、どんどん食べる量を減らしていきました。おそらく周りの子たちは家に帰ったらお菓子を食べていたのでしょうが、私はお腹が空いても必死に我慢してダイエットを続けていました。
今となって振り返ってみると、拒食症と診断された後、ダイエットはさらに加速したと感じます。拒食症はどういう病気なのか、どういった症状なのかを親が調べ、それについてのビデオを家族で観ました。その時すでに病気のスイッチが入っていた私は、この病気を患うことに危険性も、悲しみも感じませんでした。食事の場では摂食障害者との接し方についてその当時まだあまり知識がなかった親に「もっと食べよう、食べよう食べよう」と言われました。しかし、それを言われると、より一層、食に対して抵抗を抱くようになりました。
診断前までは少ない量ながら普段から家で食べていたご飯は食べていました。でも診断後は、「朝食 ヘルシー」「痩せる食事」などのキーワードを何時間もかけて検索しては記事やレシピなどを研究し、図書館に行ってはレシピ本を借りまくり、自分が一番効果的だと感じる糖質制限を徹底しようと考えました。痩せるとの紹介があったナチュラルローソンで販売されているブランパンの購入を親にお願いし、糖質制限のされた食事なら食べると宣言しました。自分が徹底すると決めた糖質制限を続行することに達成感を感じ、糖質の低い食べ物を口にすることに安心感を覚えていました。
秋になり、学校では修学旅行がありました。親は反対していましたが、保健室の先生や担任の先生と話し合い、参加することにしました。しかし、両親の監視がない自由な食事では、提供された食べ物はほぼ食べず、動き回ってばかりいました。その結果、2泊3日で体重は四キロ減ってしまいました。参加に反対していた両親は、今までになく痩せ細って帰ってきた私を見てとても悲しい思いをしたと思います。
その日を境に、私は学校に行けなくなりました。それまで学校に行く度に綺麗にきっちり書いていた連絡帳は、その日を境にとぎれました。学校は無理かも、と少しは感じていたものの、急に行けなくなり、友達に会えず小学校最後の貴重な時間を奪われるようでとても辛い気持ちになりました。それは10月の頭のころです。
私が学校を休むようになってから、親は無理やり仕事を休み、私につきっきりで朝昼晩、食事を作っては私に食べさせようとしてくれました。当時は思考が狂っていたため「別につきっきりじゃなくていいんですけど」と投げやりな気持ちでしたが、仕事もプライベートも全て犠牲にして私の病気を治そうとしてくれた両親には感謝しかないです。一番ひどい時期は一つの食事を食べるのに2時間半かかりました。それが終わったと思ったらサラダチキンなどの間食をし、次の食事・・、と朝から晩まで、起きている時間はずっと食卓に座って食と離れることのない日々を送っていました。少し慣れてくると、食事と間食事の間に母と刺繍をしたり、病院にいく時には近くのレストランに行き少しお買い物をしたりしました。この一番大変な時期は4ヶ月ぐらい続きました。そして、翌年の1月(発症から約5ヶ月後)、大きな病院で、若年摂食障害と家族療法についてとても詳しく、素晴らしい先生に出会うことができ、少しずつ回復へ向かうことができました。
拒食症を経験して感じたことは、とにかく病気の間は食とそのまわりの環境に関してしか欲がなかったということです。今、私には買いたいものや行きたいところが多くありますが、病気が一番悪い時はそうしたことには全く興味がありませんでした。しかし、この「欲」こそが病気の回復につながる鍵になるかもしれないと私は考えています。例えば、少し食べることに慣れた時期に病院の近くのショッピングモールへ行った時、歩き回って買い物をする代わりに普段摂取するカロリーに加えて何かを食べると言う条件を受け入れました。それはなぜかといえば、店舗に入り商品を見たかったからです。また、中学に上がって、先輩たちによるk-popのカバーダンスを見た時、私もああいう風に踊りたいと思い、家で少し踊り体を動かす代わりにエネルギージェルを飲むという条件をのみました。
もう一つ、中学校という新しいメンバー、新しい環境に移る大きな区切りがあったことも病気を克服する上でとても重要でした。病気だった頃の私は、学校のみんなに変な噂をされているのではないかと思い込んでいたため、その黒歴史が自分のキラキラ中学校ライフを崩さないように、新しい環境での始まりを「普通」にしたいという欲望がありました。そのため、体重の推移を見ても、中学入学直前は特に上昇しています。このように、振り返ると、最悪なところから少しよくなった時の「欲」や「節目」が回復に大きな影響をもたらしたと感じます。
中学に入学してからは、学校をできるだけ休まないように、できるだけ周りに自分が拒食症で糖質制限をしていることを知られないようにすることで精一杯でした。中学に入ってもまだ病気は続いていたため、お弁当はダイエッターにはお馴染みのチキンとブランパンをお願いしていたのですが、それを友達に見せることは絶対に嫌でした。そのため、必ずお弁当バッグを前に置いてコソコソ食べていました。友達に学校の食堂で昼食を一緒に食べようと誘われても、菓子パンや炭水化物メインの食事しかなかったため断っていくうちに、誘われなくなってしまいました。体育では見学しか出来ず、盛り上がるスポーツの大会にもでられませんでした。悲しく、惨めな気持ちになりました。しかし、そこで私は諦めるのではなく、頑張って正常な体に戻って青春を送りたい!と強く思いました。これも自分の欲望です。楽しい中学校生活を思い浮かべながら、糖質が高いものに挑戦してみたり、食堂に思い切って行ってみたり、自分の精神を落ち着かせる何かを探したりしていきました。
そしてついに中学一年生の6月ごろ、母と駅ビルにいた時、私は「ここのアイス美味しいらしいから食べよう」と言いました。その時、母が泣きそうになったことをまだ覚えています。病気になって以来はじめて食べたいという意思表示をしっかり出しました。それも、デザートのアイス。チキンと低糖質パンばかりを食べていた私が、ついにスイーツを食べようと言ったのです。母とアイスを食べる時間は本当に幸せで、母は私の写真を沢山とって、沢山おしゃべりをしました。私も母も、私が病気になってから一番笑顔になれた時間だったと思います。その嬉しさが心に沁み、そこからはさらに色々な食べ物に挑戦するようになり、一つ一つ壁を越えていけるようになりました。
2学期になってからは食に恐怖を抱くことなく、執着することもなく、食事に2時間半かけるなどといったことはなくなり、自由な時間がたくさん増えました。そのため、友達とどこかへ遊びに行ったり、食堂へいったり、体育の授業を受けたり、塾へもいけるようになりました。本当に楽しくて嬉しい気持ちが心に沁み込んで、このような生活をこの先も絶対に送れるようにしたいと強く願いました。最初の方はまだ胃袋が小さかったため食事以外の追加カロリーをエネルギージェルで補っていましたが、食べているうちに少しはまってしまい、1日2袋も飲んでいた頃もあります(笑)。でも、すぐに胃袋は大きくなり今ではバイキング大好き人間です。
私が摂食障害を患ったことを知っている人たちに、よく「摂食障害になってかわいそう」と言われます。しかし、私は神様がわざわざこの病気を私に体験させたのだと考えています。この病気はすぐに薬や治療で治る病気ではないし、自分の努力と共に、家族の支援を沢山、必要とします。でもだからこそ、今ある私の自信や家族との信頼につながったのだと思います。全く入院もせず、FBTという家族療法で一年という短期間で摂食障害を乗り越えたという事実は、私の今後の人生における自信の源です。よく自信をなくして自分を責める癖のある私にはとても良い経験だったと思います。嫌な思い出や記憶はありますが、病気と戦った間の家族との時間は素晴らしく、簡単に忘れることのできない時間で、その結果として築き上げた私と両親との深く厚い関係は、いつまでも永遠に続くと信じています。私は摂食障害になったことを「無駄」だとか「虚しい」などとは思いません。しかし、この恐ろしい病気は家庭を崩壊させ、患者だけでなく、家族の人生をも破壊してしまうこともあり得ると思います。この体験日記が、摂食障害の患者様やそのご家族に、少しでもご参考になれば嬉しいです。みなさまが、できるだけ早く病気を克服できることを願っています。
「頑張れ!!!!!病気を克服することが最高のリベンジ・行動だ。早く克服することできっと未来の自分も周りの人も嬉しくなるよ。遠くからずっと、応援しています。」
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